いとうまい子、60歳で大学教授に “ヤラセ”や“性接待”など芸能界での苦い記憶を明かす

俳優や実業家など、マルチに活躍する いとうまい子(60)。この春から大学教授としての肩書きが追加された。初めての講義で学生に伝えたこと、それは“ヤラセ”や“性接待”など芸能界での苦い記憶。一体なぜそのような話をしたのか?『NO MAKE』が密着し、大学教授になった理由についても迫った。 【映像】“ヤラセ”や“性接待”も…グラビアでグランプリをとった当時のいとうまい子 ーーいつも電車で来られるんですか? いとう:ここじゃない研究している東京大学へ行く時も電車か自転車で行っています。頑張って体力をつけた方が良いかなと思って歩いて通っています。 ーー今日は緊張していますか? いとう:今の所、全く緊張はしてないですけど、でもどうしようかなというのはありますよね。どうやって進めようかなって。でも初日なんで難しいことは考えず行こうかなと思ってます ーー何を教えるのですか? いとう:ヒューニング学というもので、ヒューニングというのはヒューマンチューニングと言って、すごく高額な楽器でもチューニングしないと良い音は出ないですよね?それと同じで悩んだり困ったりしたときに、いつもそこに立ち返って、正しい方向に間違ってない方向に持っていけることをスキルとして身につけてもらう学問です  「ヒューニング学」はこれまでになかった学問で、ついついネガティブに捉えがちなことでも発想の転換で本来の力を発揮しやすくすることを目的としている。いとうは東京、墨田区にある情報経営イノベーション専門職大学で自らのゼミを持ちこの学問を1年かけて教えていくそうだ。

初講義で“ヤラセ”や“性接待”を明かす

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いよいよ大学教授としての初講義。 いとう:いとうまい子です。みんな私のこと知らないと思うので、自己紹介します  いとうが語ったのが、10代の頃、雑誌のグラビアでグランプリに輝いた話だった。 いとう:初代グランプリって言ってますけど、本当はこういう芸能界のよくあるやり方で、最初はちょっとヤラセがあるんですね。来年アイドルデビューする子と出版社と事務所が組んで。まだ素人だからデビューすると同時に、こういうグランプリにさせましょうということはよくあります。名古屋に住んでいた時に東京まで写真を撮りに行きました。帰りの新幹線を送ってくれる時に、「いとうさん、せっかく東京まで写真撮りに来てくれたけど、もうグランプリも準グランプリも決まっているからごめんね」と言われたんですね。まだ高校生だったので、ちょっと大人の世界、信じられないって思って。ほんとありえないわ。だってさ、応募するんでしょ?みんなの投票で決まるんじゃないの?って思いながら名古屋に帰った覚えがあります。それから3カ月ぐらいして、編集部の方から電話がありました。「投票の結果、いとうさんが多かったので、編集部で話し合って、仕方なくいとうさんに代わりました」と言われたんですね。それが私のデビューのきっかけとなりました  いきなり過去の苦い経験を話始めた、いとう。さらに… いとう:例えば「仕事決まりました、打ち合わせをしたいからご飯を食べましょう」って言われて。関係者の方とマネージャーとご飯を食べて、その後、食べ終わったら「今晩相手してよね」みたいに言われて。私は「それは無理ですよ」って。「そういうつもりじゃないです」って言ったら、次の日に仕事を降ろされました。そういう時はなんかもう何なんだろうっていう、もうなんか辛いというよりは悲しい、この世界の悲しさを感じながら生きていました。私って不幸だなって思ったことないけど、なんでこんなに上手くいかないことがいっぱい起こるのかなって思いました  思い出したくはないであろう話を赤裸々にする理由はこうした苦難から脱却できたことを伝えるためだった。 いとう:30歳ぐらいの時なんですけど、好かれたいがために髪伸ばしてみたり、化粧を濃くしてみたり、やりたくないことをやってたんだけど、それまでのスタイルを全部やめた。それで名前も変えました。(伊藤麻衣子→いとうまい子)そのきっかけになったのは一緒に写っている愛犬アトムくんです。このアトムくんを見てたらやっぱり自然ですよね。自分らしくそのまま生きていいんだよって言われてる気がしたんですね。その時にハッと気づいたんです。生きるってこういうことなんだなって。誰かに好かれたいがために振り回されて、自分の人生を自分の人生じゃなくするのは、本当に生きるってことじゃないんだって、アトムに気づかせてもらったんです  “考え方を変えることで肩の荷が降りた”自らの経験を多くの人に伝えたいと大学教授になったそうだ。 いとう:ということで、私の自己紹介はここまでですけど、さぁ、いよいよ、ヒューニングに入っていこうかなと思いますが、今日はヒューニングに関して言うと、本当にさわりの部分だけ いとう:ちょっとゲームです。みんなに考えてもらいたいゲームがあります。4本の直線で1筆書きしてもらいたいなと思うんです。何か思いつきましたか?ちょっと考えてみて  これは思考力を柔軟にするためのトレーニングなんだそう。 いとう:いいですか、こういきます。はみ出したね。言った通りはみ出しましたね。そしてもっとはみ出してからのこう行って、そしてこう。いけましたね。(生徒が)そんなんいいんだって顔してる。そんなんいいんですよ。そんな風に考え方を柔軟にしてもらいたいなと思います  他にもスライドを用いてわかりやすく「ヒューニング」の方法を伝えるいとう。 いとう:私がものすごく大好きなスキルがあるんですけど、リフレーミングっていうスキルがあって、フレームを変えることで意味が変わるんですね。見え方も考え方も、いろいろと意味が変わってしまうということですね。私がめちゃくちゃ嫌な人に会っちゃったら、私は普段から周りにいい人ばっかりいるんだと。だから、この嫌な人が私にそのことを教えてくれたからありがたい。そうするとその人のどっかいなくなっちゃうんで、いじめがいがなくなるから。私はその考え方がすごく好きで、今後そういったいろんな手法をみんなと一緒にワークしながら考えて構築していきたいと思うので、楽しみにしててください  いとうゼミ、初回の講義を終えて学生たちの反応は?  学生:どうすれば幸せになれるのかとか、どうすれば幸せと思えるのかっていうところを結構このゼミの講義で学べるんじゃないかなと思って。きょうは楽しかったと思っています 学生:(過去の話を)聞いていていいのかなっていう気持ちにはなりましたね。自分がそういう立場だったら結構それって黒歴史みたいな感じなので、さらけ出せるのは精神性がすごいな、強いなっていう風に思いました

“メディアと性の問題”にも言及「悪は はびこりますよ、いつも」

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いとうは、この「ヒューニング学」を芸能界で辛い思いをしている人にも伝えたいと話す。 いとう:芸能も変えたいですよ。ただ私みたいなこんな弱者の力では何も変わらないので、だからできれば、この私の思いを毒牙にかかりそうな人たちにレクチャーしておいてあげれば、「これがあれだわ」って思ってくれればね、一個の仕事がなくなったって次があるから。でも、みんな一個の仕事がなくなったら大変なことになると思ってもう身を粉にして受けちゃうわけですよ。でもねそんなことないからっていうのは伝えてあげたいですよね。なかなか伝わらないですけど。  そして昨今、取り沙汰されるメディアと性の問題についても言及した。 いとう:これってね悲しいかな、なくならない。もうこの弱者と強者のこの世界観はもうずっと続くんじゃないですか?なくならないと思う。テレビ局は「規制をします」って言ったって制作会社とか外部から入っているところがやったらもう全く見えない感じになっちゃうじゃないですか。テレビ局が調査したって、そこと全然外部のところで行われちゃったら。だから本当に悲しい話ですけど、心強く持って特に女の子は、それを扱う事務所があるなら事務所はそんなことを売りにしないでいてあげてほしいなって思いますよね。でもねそれを売りにする事務所もあるから、そこも問題ですよね。悪ははびこりますよ、いつも (『ABEMA NEWS』より)

Y M

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◆米大リーグ レンジャーズ―ドジャース(18日、米テキサス州アーリントン=グローブライフフィールド) ドジャース・大谷翔平投手(30)が18日(日本時間19日)、この日からの敵地・レンジャーズ3連戦に帯同していないことをデーブ・ロバーツ監督(52)が試合前の囲み取材の中で明かした。真美子夫人が出産間近で「父親リスト」(Paternity list)入りするという。 ロバーツ監督は「翔平は現在、育休中だ。彼と真美子は間もなく出産の予定だ。私にはそれ以上の詳細は知らされていない。彼がいつ戻ってくるのか、いつ出産になるのかもわからないが、2人は出産に備えて一緒にいる。しばらくはチームを離れることになる」と説明した。父親リストは、3日間まで出場登録から外すことが出来て、その期間中は代替選手を登録できる。 指揮官は「彼とはあまり話していないが、健康な出産と良い経験をすることを願っている。彼は感情の切り替えを非常にうまく行うことができる人だ。彼は睡眠を非常に重視しているので、ベイビーが生まれた時に彼の睡眠がどう影響するか、どうやって睡眠を確保するのか興味深いところだ」と続けた。 大谷は昨年12月28日(同29日)にインスタグラムで真美子夫人が第1子を妊娠したことを発表。性別や出産予定日などは明らかにしなかったが、愛犬・デコピン、ピンクのベビー服、自身が契約するニューバランスのグレーのベビーシューズ、赤ちゃんのスタンプを載せたエコー写真をアップし、「Can’t wait for the little rookie to join our family soon!(もうすぐ私たち家族にリトルルーキーが加わることが待ちきれません!)」と英文で喜びをつづっていた。

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